霊峰二山飯能七福神

     - 神がほほえむ奥武蔵 -

三番|瀧泉寺(りゅうせんじ)

三番|瀧泉寺

当山は萬寿元年(1024年)開創龍尊上人法親王が出家した門跡寺院 御室仁和寺の直末寺であったが、明治になり、時代の流れの中で真言宗智山派として活動することになった。又、国道の改修により寺域を二分したのもこの時期であった。星移り 昭和59年 先代住職の代に写佛道場を開設。平成初 本尊千手観音、別名「蓮華王」にちなみ供華として、東京大学農学部のご協力とご指導を賜り花ハス栽培を開始。写佛道場は25年間に及び金胎両界曼荼羅、八祖大師、五大尊、十二天屏風、紅白蓮池図等を同行者と共に描き上げた。

正月。かって宮中真言院で厳修されていた「玉体加持」は場を移して、京都東寺潅頂院で京都御所より勅使奉持の「御衣」を迎え、御七日御修法として真言宗各派管長はじめ重役により毎年1月8日から14日まで厳修されている。七福神の「初詣のお開帳」もこの時期に当り当山でも、この時期護摩修行してまいりましたが、本年は特に開白、中日、結願日に真言秘法護摩を修します。写佛道場で写した諸尊諸菩薩等々は元々御修法の道場荘厳を畏れながら密かに念じながら選定されたものであります。また、秘佛天 聖天さま(境内鎮守では毘那夜迦神)の荘厳供養も行じられます。

夏は「夏まいり」本尊供華 由緒ある(物語のある)銘華が咲きます。約百種本尊千手観音花供養(6月中、下旬~8月上旬)NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の1シーン飯能市周辺にスポットが当った。渋沢栄一の見立養子渋沢平九郎らと一団の活躍と悲劇この地方は幕末 一橋領であり(十五代の出身家)瀧泉寺でも一橋の殿様に献上する松茸山があった。この悲劇の勇士を飯能戦争の時 自らの命と家運を賭して秩父往還(今の国道299号)を隣村まで無事に送ったのが横手村在住村役の大川戸本家、分家、須永の三人であった。飯能から吾野方面までのドラマである。

●【長寿円満】
●【福徳智慧】
●【諸病平癒】


七福神|寿老人


寿老人は、福禄寿と同じく星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。

引用元:七福神の由来・七福神の紹介


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詳細情報

●名称:瀧泉寺(りゅうせんじ)
●所在地:〒350−1257 埼玉県日高市横手79-1
●宗派:真言宗智山派
●御朱印等受付時間【9:00〜16:00】

042-980-5051